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sweet potato

お土産でいただきましたが、かなり美味しいです^^b
warakudou

穏やかな一日

明けましておめでとうございます
東寺に初詣をして、京都駅まで娘の見送りに
東寺

待ちにまった・・・再建!!

友だちに高の原駅まで送ってもらうと
ちょうど木津駅行きの”きのつバス”が来たので飛び乗った
 

なのに木津駅につくと改札をくぐったあたりで
加茂行きの電車がむなしく出てしまった...
 

次便は30分後、私は少しでも早く「彼」に会いたくて
今度はタクシーに飛び乗り加茂町瓶原の恭仁京跡へ走らせてもらった
 

タクシーを待たせ滞在時間10分ほどではあったが、
突き抜けるような青空に向かって凛と建つ「彼」は
眩しいくらいに輝いて見えた
 

地元有志のみなさん、海住山寺のご住職の多大なご尽力のおかげで
「彼」は数十年ぶりにこの日を迎えることができたのだ
 

今日は、私にとっても生涯忘れられない日となりそうだ
 

その「彼」の名は、「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志建之碑

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
国の史跡 恭仁京 大極殿跡の基壇下に「彼」は佇んでいた(今日から)

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
道に面した東向きに「恭仁宮大極殿阯」と記されている

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
昨日までは、ここで風雪に耐え横たわったままになっていた

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
生々しい痕跡、史跡跡なので50cm以上掘り下げられないので丁寧に起こされたのが伺える

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
西側の銘文には「昭和四年春 京都三宅安兵衛遺志建之」とある

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
昭和4年当初はここに「彼」がに建っていた(後にここが史蹟 山城国分寺跡に指定され現在は、その碑のみが建っている)

「恭仁宮大極殿阯」三宅安兵衛遺志之碑
長い月日をこうして史蹟の隅で倒されたまま「彼」は過ごしてきた…(2015年1月撮影)

今年のグリーンカーテン

「洛いも(ダイショ)」の苗を2ポットいただいたので
今年のグリーンカーテンはゴーヤでなく、この洛いもですることに

洛イモ

南の和室の前に高さ290幅80のトレリスを3枚と

東の出窓のところに1枚、計8株植えました
 

失敗だったのはトレリスの目
斜め◇のものにしたのですが、できれば目は□のものがよいそうです

洛イモ

洛いも(ダイショ)は長芋の仲間⁉︎
ハート型で明るい緑の葉っぱが爽やかです

簡単に育てられるそうなので皆さんも是非^ ^

http://www.town.seika.kyoto.jp/…/0000008/8404/rakuimosaibai…

今年のお味噌の仕込み

今日は午前中、sadacoroさんで味噌作り教室に参加

6キロのお味噌を作るため、北海道産の大豆を4日前から2昼夜、水に浸し、2日前から仕事の合間にコトコトと弱火でじっくり茹でてきた

 その大豆と煮汁の入った大鍋と味噌を仕込む大きなホーローの容器の大荷物を持って変なおばさん状態でタクシーに乗り込んだ^^;

sadacoro味噌作り教室
麹と塩をよく馴染ませます

sadacoro味噌作り教室
塩きり麹…きれい…こうすることで麹の発熱やムレ臭を抑えることができるそうです

sadacoro味噌作り教室
熱いうちに茹でた大豆を潰します

sadacoro味噌作り教室
塩きり麹に潰した大豆を煮汁を足しながら耳たぶの柔らかさになるまで混ぜ合わせます

sadacoro味噌作り教室
ここになるまでが汗が出るくらい結構体力を使います

sadacoro味噌作り教室
最後に味噌の上、容器の内側もしっかりとアルコール消毒し空気に触れないようラップを掛け密封します

sadacoro味噌作り教室
sadacoroさん手作りのおにぎりと

sadacoro味噌作り教室
大豆の煮汁を使ったお味噌汁をいただきました

sadacoro味噌作り教室
sadacoroさん、今日もホントえー顔してる

sadacoro味噌作り教室
食に対して身体にやさしく、美味しさを追求する姿がみなさんとっても眩しい

途中、天地返しなどをしながら秋には出来上がるお味噌
これで半年足りるかな??

ぼちぼち再開!?

最後の投稿が昨年の6月20日

Face book が簡単でついつい、長い間さぼりっぱなしでごめんなさい
ぼちぼち再開して行きたいと思います^^;


ナンテン

伏見街道(深草・藤森・墨染)を歩く (第三弾)

6/13 伏見街道(深草・藤森・墨染)を歩く(第一弾・第二弾) 続き


藤森神社
◇お昼過ぎ「藤森神社」(京都市伏見区深草鳥居崎町609)へ到着

 こちらの休憩所でお昼休憩…

藤森神社
本殿 旧御所賢所【重要文化財】
神功皇后によって203(神功摂政3)年創建された皇室ともゆかりの深い古社


藤森神社
大将軍社 社殿【重要文化財】室町時代 永亨十年(1438)
足利義教建立

藤森神社
境内2ヵ所の紫陽花苑ではちょうど「あじさい祭」も開催中でした

墨染交差点
墨染交差点

墨染桜
◇「墨染寺(ぼくせんじ)」(京都市伏見区墨染町741)
平安時代、藤原基経の死を悲しんで歌人上野峯雄が歌を献じたところ
桜花が喪に服して墨染色になったといれ、この地、墨染の地名の由来となった

欣浄寺
◇滅多に見ることのできない「欣浄寺(ごんじょう)」の
本尊 毘盧遮那仏"伏見大仏"といわれ高さ約5.3m(江戸中期)

欣浄寺
大きさがお分かりになるでしょうか

欣浄寺

欣浄寺
深草少将( ふかくさのしょうしょう )像

欣浄寺
平安時代、小野小町を恋い焦がれて 百夜( ももよ )通いの
伝説に登場する人物・深草少将の邸宅跡と伝えられ、境内には
深草少将と小野小町の供養塔が並んでいます像
 

欣浄寺
またその前に少将遺愛の「墨染の井戸」があって、
「涙の水」とも「少将姿見の井戸」ともいわれています

欣浄寺
「姿見の池」の畔にひっそりと花開く半化粧

撞木町
◇「撞木(しゅもく)町」
道路の形が撞木(しゅもく、T字形)に由来し、江戸時代、
このあたりには遊里(遊廓)が設置されていました

「大石良雄遊興之地 よろつや」 の石碑
「大石良雄遊興之地 よろつや」 の石碑
元禄期、山科に隠居していた大石内蔵助が出入りしたといわれています

キンシ正宗

キンシ正宗
◇「キンシ正宗」(京都市伏見区新町11丁目337-1)


勝念寺
◇「勝念寺」(京都市伏見区石屋町521)

勝念寺
地蔵堂「身代釜敷地蔵尊"かましきさん"」 
地獄で釜茹でにされて苦しんでいる人の身代わりとなって
自ら煮えたぎる釜の中に入り、苦しむ人の苦を取り除き
安楽にそして、 幸せへと導いて下さるお地蔵様

伏見町屋

丹波橋通り
現在の丹波橋通り 油屋さんやお茶屋さんが建ち並び、
通りの突き当たりには伏見城天守閣が見えます

大黒寺
◇「大黒寺」(京都市伏見区鷹匠町4)
境内奥には、西郷隆盛が建てたという有馬新七ら寺田屋殉難九烈士の
墓碑をはじめ、伏見義民の文珠九助(もんじゅうきゅうすけ)、
木曽川治水工事の犠牲となった薩摩藩家老平田靭負(ゆきえ)の墓が

大栄寺
◇「大栄寺」(京都市伏見区東大黒町1032)
四面石仏(鎌倉末期) 十三重石塔の塔身に釈迦(正面)、
阿弥陀(右)、

大栄寺
薬師(左)、弥勒(後)

大栄寺
観音堂の千手観音菩薩

月桂冠(株)昭和蔵
月桂冠(株)昭和蔵
月桂冠(株)昭和蔵

京都市立伏見板橋小学校(下板橋)内にある道標
◇住吉小学校内にある道標
「東 右 京 竹田かいとう すぐハはた 柳谷道」
裏には「南 弘化4年(1847) 俵屋仁兵衛」
「西 すぐ京本街道 大津道 左り 京東西本願寺みち」
「北 右 阿波橋 左 京ばし ふね(年)乃り場」
 
伏見板橋児童館前の道標
◇伏見板橋児童館前の道標
「東 左りふねのり場」「南 右 京大津みち」とあります
年号「弘化4年」(1847)
このように往時は、このあたりには船着き場があり、この他
伏見中学校や住吉小学校等にも道標が残っていようです

このほかに「金札宮」(京都市伏見区鷹匠町八番地)や
宝海山「源空寺」(京都市伏見区瀬戸物町745)など
大手筋を歩いき、最後にちょっと黄桜 カッパカントリー
(京都市伏見区塩屋町228)で一息入れてゴール

京都市伏見区塩屋町
今回は、予定以外にもあれやこれやと行ったり来たりしながら
およそ12kmを制覇です^^

伏見街道(深草・藤森・墨染)を歩く (第二弾)

6/13 伏見街道(深草・藤森・墨染)を歩く(第一弾) の続き

宝塔寺
◇「宝塔寺(ほうとうじ)」(京都市伏見区宝塔寺山町32)
四脚門(総門)【重要文化財・室町時代中期建立】
この辺りから、徐々に雨脚が強く…

宝塔寺
本堂【重要文化財・桃山時代 1608年創建】(平成15年 解体修理)

宝塔寺
応仁の乱…室町時代1467-1477迄11年間、京都を中心に続いた戦乱
の兵火を免れた京都市内で最古の多宝塔【重要文化財・1439年以前】

瑞光寺
◇「瑞光寺(ずいこうじ)」(京都市伏見区深草坊町4)
昨年の春、葺き替えが行われたばかりの山門

瑞光寺
暫し雨宿り

瑞光寺

嘉祥寺 歓喜天石碑
嘉祥(かしょう)寺 表参道に建つ「日本最初 歓喜天」石碑


嘉祥寺
◇「嘉祥寺」(京都市伏見区深草坊町71)は日本最古の
歓喜天(かんぎてん)といわれ大聖歓喜天が本尊
俗に深草聖天と呼ばれ、開運招福祈願の信仰がある

深草十二帝陵石碑
深草十二帝陵石碑

深草北陵
◇「深草北陵(ふかくさのきたのみささぎ)」

深草北陵
歴代の天皇を祀る深草十二帝陵…後深草天皇、伏見天皇、
後伏見天皇、北朝の後光厳天皇、北朝の後円融天皇、
後小松天皇、称光天皇、後土御門天皇、後柏原天皇、
後奈良天皇、正親町(おおぎまち)天皇、
後陽成(ごようぜい)天皇までの北朝(持明院統)

深草

深草
伏見街道がいい感じで続きます

深草

深草
伏水街道第四橋

師団橋(五芒星)
師団橋の橋脚にある元陸軍の五芒星   ▲

深草

深草

深草
魔よけ・火除けの神様"鍾馗さん"もあちこちの軒先に見られます

深草

深草
民家の玄関先に小さな石仏"大日如来"の札が…

次回は、藤森神社より

伏見街道(深草・藤森・墨染)を歩く (第一弾)

先日、伏見街道の深草・藤森・墨染まで11km余りを歩きました^^;
 
まずは、その第一弾…
 
JR「稲荷」伏見稲荷→荷田春満(かだのあずままろ)旧宅
→東丸(あずままる)神社→伏見稲荷のお茶屋→ぬりこべ地蔵
→石峰寺(伊藤若冲所縁の寺・石仏五百羅漢)まで^^

伏見稲荷
◇「伏見稲荷」前 9:30集合
天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされる楼門(中央奥)を
潜りますが、今回はそちらへは行かず、ほとんどの方が行かれた
ことの少ない…右手(南)に進みます

荷田春満旧宅
◇「荷田春満旧宅」
祭神は江戸時代の国学者 荷田春満(かだの あずままろ)を祀り
学業成績上達の篤い信仰を集めています

東丸神社
◇その横には学問の神 荷田東丸を祭神とした「東丸(あずままる)神社
伏見稲荷大社の境内にありますが、独立した神社です

伏見稲荷大社 お茶屋
◇「伏見稲荷大社 お茶屋」
16世紀末〜17世紀初頭のものとされていて
寛永18年(1641)に後水尾院より、院の非蔵人として仕えていた
当社目代羽倉延次に下賜された書院作りの茶室

荷田東丸大人墓地参道
東丸神社とお茶屋の間のこの路地の先は「荷田東丸大人墓地参道」

攝取院の外部墓地
住宅地を抜けるとふいに攝取院の外部墓地が目に飛び込んできます

ぬりこべ地蔵
ぬりこべ地蔵
◇すぐ近くには、歯痛封じの地蔵尊「ぬりこべ地蔵」があります

ぬりこべ地蔵
お堂の中には歯痛平癒を祈るハガキや礼状が全国各地から
寄せられていました

6体のお地蔵さん

石峰寺
石峰寺
石峯寺」(せきほうじ)山門(龍宮造)

石峰寺
江戸時代の画家 伊藤若冲(1716-1800年)、縁の寺…

石峰寺
黄檗山 萬福寺を本山とする黄檗寺院
宝永年間(1704〜1711)に建立された禅道場

石峰寺
この脇を過ぎると

石峰寺
「伊藤若沖の墓」があります

右手の円柱の石は、江戸後期の書家・画家である
貫名海屋(ぬきなかいおく)撰文の筆塚

ヒョウタンボク(毒空木)の赤い実

本堂裏には、この伊藤若沖が下絵を描き、石工たちに彫らした
といわれる石仏「五百羅漢」があります

羅漢とは…サンスクリットarhatの音写〈阿羅漢〉の略称
釈迦の説法を聞き世人より供養される者をいいます
 
残念ながら、この五百羅漢は、撮影・スケッチ禁止となって
おりますので、京阪電車の「あの日に帰りたい、京都。」
(2010年2月)のポスター等で情景をイメージの上、是非、
現地へ赴かれてみてください

「あの日に帰りたい、京都。」(2010年2月)のポスター
次回は、「宝塔寺(ほうとうじ)」より…

あきませんね〜!

Facebook嗜好に偏り、長々と筆不精が続いたので
ログインページのパスワードまでとっさに出てきませんでした^^;
すみませんでした!
いっぱいため込んでおりましたので、季節感が途中から
また遡るかと思いますが、どうぞお許しを♪
まずは、直近(と行っても6/8、5日前)のものから…

晴れ間のカシワバアジサイ

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