今、話題の
平清盛…木津川市にも「平家ゆかりの地」がいくつかある
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高倉神社◇(木津川市山城町綺田神ノ木48)

かつては春日神社といい、現社名となったのは1885(明治18)年
1180(治承4)年に源頼政に推されて平家打倒の兵を挙げた
後白河天皇第2皇子の以仁王(もちひとおう)【高倉宮】が、
宇治川の合戦で敗れて南都に逃れる途中、流れ矢にあたって
落命し、この社に葬られたという

社前右に以仁王の墓と伝える塚がある


筒井浄妙の墓とともに宮内庁の管理となっている
祇園祭 山鉾の浄妙山のご神体になっているのは、まさにこの場面、
都を落ちる王に従って宇治橋の合戦で活躍した三井寺の僧兵 筒井浄妙と
一来法師の奮戦の一瞬(社団法人 浄妙山保存会から奉納されたもの)
◇筒井浄妙(つついじょうみょう)の墓◇(高倉神社の南、田畑の中)

治承(じしょう)4年(1180)源頼政と以仁王の挙兵に従い宇治の戦いで奮戦
弟子の一来(いちらい)らとともに平家方83人を討ったが、自身も鎧兜に
63本の矢をいられていたという(法名は明春)


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安福寺◇(木津川市木津宮ノ裏274)

平清盛の五男で、一の谷の戦いで捕えられた平重衡(しげひら)が、
南部攻めで興福寺・東大寺を焼いた罪で、1185(文治元)年
木津川の河原で斬首され、その菩提を弔うために創建された
当初は哀(あわん)堂と称した
本尊の阿弥陀如来像は重衡の引導仏と伝え、境内には重衡供養塔といわれる
鎌倉時代の十三重石塔(国重文・鎌倉)がある
また、江戸時代の紙本淡彩重衡像を所蔵する


4月下旬に訪れた時は、供養塔の傍らに立派な牡丹が花を咲かせていた

重衡は、「武勇の器量に堪ふる」と言われる一方、その容姿は、平家物語
「千手前」の段で、頼朝に親能が、重衡が牡丹の花に喩えられていると
伝える場面があったり、「平家花揃へ」でも重衡は牡丹に喩えられている

◇重衡首洗池◇(木津川市木津雲村)
線路の西側、重衡団地内に重衡首洗池があり、その北側に不成(ならず)柿
とよばれる柿の木がある

右手前の小さな茂みの中が重衡首洗池
周辺は、きれいにされているので、通りすがりの方に伺ってみると
このご近所の方が50年余り手入れをされていらっしゃるとか

訪れた3月中旬、不成柿の足元にちょうどフキノトウが出ていた

不成柿は、江戸時代の地誌「山州名跡志」にも登場しており、
重衡が死の直前に柿を食べたとされるのに因んで、植えられたという
しかし、何度も代替わりしており、20数年前に植えられた現在の木は、
秋になると小さな実がなっているようである

◇泉橋寺◇(木津川市山城町上狛西下55)
近くの泉橋寺には、741(天平13)年頃、行基が泉川に架橋したとき
供養のために建立した橋寺で、完成時には聖武天皇も訪れ、
食封(じきふ)100戸を与えたとされている
1180(治承4)年、平重衡の南部攻めの際、消失
そのときの犠牲者を供養した五輪石塔(国重文・室町)が境内にある
消失後、金堂・講堂などが再建され、東・北・西3方に掘をめぐらし、
堀の外北東に五重塔があったという
寺は中世の兵火で衰え、現在は1690(元禄3)年建立の表門・
本堂兼庫裏・観音堂を残すのみである
(参考)「新版 京都府の歴史散歩(下)<山川出版>他より

(山城町で軽トラの荷台にこんなにたくさんの朝堀りタケノコが積まれていた)

「平家ゆかりの地を訪ねて…」問合せ先:木津川市観光協会まで
◇◆NHK「平清盛」の登場人物で見る位置関係◆◇
後白河天皇(役:松田翔太)の子が以仁王【高倉宮】で
また、平清盛(役:松山ケンイチ)の子が平重衡となり
因みに今年、八百年遠忌(おんき)の年にあたる解脱上人【貞慶】は、
藤原通憲【信西】(役:阿部サダヲ)の孫というわけである(^-^)