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尼信博物館&尼崎信用金庫記念館

おととい、午後一の仕事を終え、尼崎まで遠出をした

尼崎寺町界隈

阪神尼崎駅を出てしばらく歩くと途中、立派なお寺がたくさん見られた
寺町のようである

尼信博物館

5分程歩くと尼信博物館が見えた

尼信博物館

手前に小さな古いレンガ作りの建物があり写真を撮っていると
警備の方が親切にいろいろと教えて下さった(感謝!!)

教えていただいていなければきっと写真を撮るだけで素通りをしていただろう

尼崎信用金庫記念館

尼崎信用金庫記念館」【尼崎市都市美形成建築物】
大正10年6月6日に創業した当時の有限責任尼崎信用組合(現尼崎信用金庫)
本店事務所で初代組合長 小森純一氏所有の建物であったが、戦後尼崎信用
金庫の所有となり、創業時を偲ぶ記念館とした

当初、現在の約50m南に建っていたが、新本店(当時・現本店別館)建設に
ともない、昭和47年、現在地にうつし再建した

建設時期は明らかではないが、地元の古老の記憶などによれば、明治30年代
には既に小森家の建物の一部として建てられていたようで、尼崎に現存する
数少ない明治時代のレンガ造りの建物として、貴重な歴史の証人である

尼崎信用金庫記念館

尼崎に“文化の情報発信基地”をつくるため、昭和59年4月17日、
「昔の貯金箱博物館」を創業時の本店事務所である「尼信記念館」内にオープン
収蔵する貯金箱は世界62カ国・約13,000点に及び、世界でも最大級の
貯金箱博物館で現在約2,500点を常設展示されているとか

尼崎信用金庫記念館

(財)尼信地域振興財団の看板の用材は、「神大楢(北海道原産約1500年前に
倒れ地中に埋もれていた“たも”の風倒木)」を用いているそうだ

尼崎信用金庫記念館

前庭にある銘板の入った石は、庄下川下流開明橋の東詰北側の川岸に
幅3メートルにわたって積まれていたものの一つである

庄下川は江戸時代、尼崎城の西の外堀であった
開明橋の北側には、当時、城の不明(あかず)門に通じる不明橋があり、
廃城令で城とともに橋も姿を消した

この橋の取りつけ部分の石垣が残っていたものと思われる
尼崎城に使われていた他の石は尼崎湾防潮堤建設に使われたり処分されて
ほとんど残っていないため、この石は貴重な尼崎城なごりの石といえる

尼信博物館

この日の目的は、尼信博物館で開催中の「中西敏子人形展【2月13日(日)まで】

今西敏子先生

中西敏子先生がちょうど会場にいらっしゃっていた(「晩照」パネル前で)

「晩照」中西敏子

「晩照」(創作桐塑人形) 中西敏子 作

足袋を裏返して繕っている老婆の着物の胸元によく見ると糸が通った
針が留めてある…夕暮れの光(輝き)のような作品である

この他にも、バッターボックスで背中を丸め、首をうなだれ、お尻の
ポケットにぶら下がっている御守りがふ〜っと目に入る野球選手や
やっとデジカメの使い方にも慣れてきて写真を撮るのが楽しくて仕方ない
名カメラマン(おばあちゃん)など、普段の何気ない時間の一瞬を切り取って
人形(ひとがた)に残されている

穏やかで楚々とした気持ちになれる素晴らしい時間…

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